「北海道YMCA百年史」の「すべてのわざに時がある」より抜粋。

 

「パリー標準」の訳文

 

五三年七月十日から十二日にわたって、第二回北海道夏期学校が北海道キリスト教会館を会場に開催された。主題は「現実におけるキリスト者の人間形成――学Yの本質と課題」で、八十人の参加者は熱心に学習、討論に終始した。

 

この年は一九〇三(明治三十六)年、日本YMCA同盟が結成されてからちょうど五十年目に当たる意義深い年であった。八月二十二日から二十三日にかけて行われた日本YMCA同盟成立五十周年記念式で、同盟は内外の功労者を表彰してその労に報いた。札幌YMCAの早坂一郎理事(北大理学部教授)も、役員として二十五年以上にわたり奉仕したとして表彰を受けた。早坂は一九一九(大正八)年から二八(昭和三)年まで仙台YMCA、続いて四六(昭和二十一)年まで台北YMCAに所属。五二年四月から札幌YMCA理事を務め、五四年には理事長となった。

 

二十三日の同盟総会において、札幌YMCAの小田切信男理事がYMCAの「パリー標準」訳文の一部字句訂正を提案した。

 

小田切が問題にした日本語旧訳(その後、一九七五年改定)は、「YMCAは聖書に基づいてイエス・キリストを神とし救い主として仰ぎ、信仰と生活とをとおしてその弟子となることを望み、また青年の間に神の国を拡張するために協力することを願う青年を結合することを目的とする」であった。

 

のちに理事長となる時任正夫によると、小田切は「イエス・キリストを神とし」というところを問題にした。それは学生たちに非常な誤解を与える、イエス・キリストは人の子である。もちろん神であるけれども人の子である。そこに信仰のめばえを見つけることができるので「イエス・キリストは神である」ということを最初から掲げてYMCAの活動をすることは無理があるという主張を始めた。それからキリスト教の論争が始まり、東京神学大教授北森嘉蔵と『開拓者』誌上で何度も論争した。

 

小田切は神学者ではないが、勉強し、非常な熱意をもってこの問題に取り組んだ。これを土台に一九五一年、北米YMCAの百年祭に日本代表の一人として出席した。そしてニューヨークの街頭で世界の激しい動きを見て、自分も激しく生きなければならないということから五二年に東京に移り、開業医をしながらキリスト論に取り組んだ。

 

そしてやがてドイツに行き、二カ月の間講演して回った。そして帰国後「キリスト論」「ドイツの旅」という書物を出版し、その後もキリスト論の研究をした。

 

時任は「初代理事長の上田村次郎はあらゆる努力をして、YMCAのプログラム展開の場を作った。小田切はYMCAのキリスト論から論争を巻き起こし、YMCAの本質に突っ込んでいって、やがて日本中の神学者にそういう問題に取り組ませた。全く違った面で奉仕した」と、タイプの異なる先駆者二人を高く評価した。

 

小田切が異議を申し立てた当時の同盟主事で、一九六四年から札幌YMCA総主事を務めた海老沢義道は、のちに次のように述べた。

 

小田切信男は訳文の「イエスは神か人か」のキリスト論について論争を展開した。YMCA復興のときに、このような神学的本質追及をしたことは、その賛否は別にしても意義のあることだった。先駆者たちは施設作りのみを考えるのではなく、これから復興してゆくYMCAの本質は何であるかを問いながら事業を進めたことに大きな感動を覚える。YMCA復興時の神学論争は結論は出なかったが、反対意見の人にもYMCAの本質を考えせしめる生産性があった。(「YMCA復興二十五年に学ぶ」)

 

 

 

 (サイト管理人の注)

※以上は、「第四章 復興と札幌YMCA会館」(p262264)からの抜粋(原文は縦書き)。誤記が少なくとも二箇所ある。

 

(1)263頁右から5行目「もちろん神であるけれども人の子である。」の「神」は「神の子」としなければ、(これは見解とか解釈の相違の話ではなく事実として)小田切氏の著書の内容と矛盾することになる(『キリストは神か』p34、『キリスト論・ドイツの旅』p8参照)。小田切氏は「イエス・キリストを神とし」の「神とし」を否定し、聖書は一貫して「神の子」と証言していることを指摘したのである。ただし、小田切氏にとって「神の子」は「神」と「同質」であり「同等」である(『福音論争とキリスト論』p28296782102167、『キリスト論・ドイツの旅』p163171303352353357参照)。

 

(2)263頁左から1011行目<そして帰国後「キリスト論」「ドイツの旅」という書物を出版し>の、<「キリスト論」「ドイツの旅」>は、<『キリスト論・ドイツの旅』>と表記すべき。

 

《御案内》

これは、小田切信男氏の福音論を伝えるサイトです。小田切氏は、「私のキリスト論はむしろ福音論ともいうべきものであって、この論争もキリスト論論争というよりは福音論争とこそいうべきものであります。」(『福音論争とキリスト論』序文 p3)、「私にとって、福音とはキリスト彼自身でありました。それゆえ、私のキリスト論はそのまま福音論であります。」(『キリスト論・ドイツの旅』p189)と述べておられます。

 

【キリスト・イエスが唯一無二の人格でありますから、神もまた唯一の神たる性格を持つのであります。すなわち、キリスト教においてはイエス・キリスト御自身は神ではなく、神といえば必ずイエス・キリストの父なる神なのであります。私共は初代のキリスト教徒達が神々の思想及び信仰の渦巻く異教の世界に福音を宣教するに当って「新しい神」「子なる神」としてイエス・キリストを伝えなかったことを深く考えてみなければならないと思います。(中略)二十世紀の中葉を過ぎた今日、聖書にはない安易な教義の中に安住して初代キリスト教徒達の深い体験とその宣教の真実さをうち忘れてはならないのであります。(中略)イエス・キリストの人格についての問に対する答は「神」とか「人」とかと答うべきではなく、ただ「神の子」と答うるのが聖書に基づく答であります。「神の子」は先在においても、受肉しても、死して甦って昇天しても、常に「神の子」と呼ばれて充分でありまして、それが聖書の語るイエス・キリストなのであります。】(小田切信男著『キリストは神か(聖書のイエス・キリスト)- 北森嘉蔵教授との討議を兼ねて- 』〔待晨堂書店〕p13~15)