※以下は、小田切信男著『キリストは神か (聖書のイエス・キリスト)― 北森嘉蔵教授との討論を兼ねて ―』(待晨堂書店.1955年9月発行)を書き写したものです。
その目的は内容把握なので外的な面(再現)にはあまり配慮していません。原文は縦書きですがこちらは横書きであり、また改行してあるところも基本的にはせず、誤記と思われる箇所は明らかなもので気がついたもののみ訂正し、表記上の旧字や繰り返し記号などの記号等は、文意に変更を加えない範囲で変えていることがあります。
文字の横に傍点が付いている文字は赤で、小さい○が付いている文字は青で表示しました。本文でルビが付いている単語は、特に読みづらいと思われるものだけを選び【 】に入れて表記しました(同語複数の場合は先行するもののみ)。各章内の段落数は、原文は漢数字ですが西洋数字に変えています。その他、備考等は(※)に続けて表示しました。
目次
第一章 序文―この論争の由来について― 1頁
第二章 歴史の人「イエス・キリスト」 11頁
第三章 復活の主「イエス・キリスト」 16頁
第四章 イエスの語る「イエス・キリスト」 20頁
第五章 「神の子」の受肉と受肉した「神の子」 28頁
第六章 北森嘉蔵教授のキリスト論批判 38頁
第七章 福音を危くする「三位一体論」と三位の一体性を
破る福音 46頁
第八章 死人・屍体・万有の福音 59頁
第九章 問題となる聖句 74頁
あとがき 76頁
第一章 序文 ― この論争の由来 ―
1
私はキリスト論の論争史になにかを加えるためとか、或は又なにかを加えうる自信があるからとの理由でこの書を世に送る者ではありません。ただ一介のキリスト教徒として聖書を学んでいるうちにキリスト教福音の中核をなす「イエス・キリスト」について、一般に安易な教義に安んじ、深く聖書にその真実を求めず、その為め福音を危くする結果をきたしていることに気づき、ここに勇を鼓して一文を世に問い、広くキリスト教界の心ある人々に訴え、かつ御教示を賜わりたく希望するに至ったのであります。
2
私は少年の時から三十年間北海道の札幌市で生活し、両親の属していた、札幌独立キリスト教会で信仰生活を続けました。札幌独立キリスト教会はウイリアム・エス・クラークの記念会堂と呼ばれておりまして、クラーク先生の感化で福音を信じた青年キリスト教徒が打ち建てた教会であります。すなわち、札幌農学校第一期生大島正健先生、第二期生内村鑑三先生、宮部金吾先生及び三島・岩井の両氏等を中心として建てられた教会でありまして、その特徴は純粋な聖書の福音を真剣に学ぶというところにありました。官吏でありました私の父は、宮部先生に導びかれ、農学校時代に信仰に入り、母とともにキリスト教徒としてその一生をおくりました。私は最もオーソドックスの信仰を継承している独立教会、いわゆるサッポロ・バンドの流れのうちに育ち、終戦後は、時田郇博士及び博士の厳父大一先生とともに、独立教会の再建に努力してきました。昭和二十二年宮部博士の米寿を記念し「聖書研究」誌を発行致しまして以来、礼拝の証詞【あかし】をしたり、聖書の研究を進めるうちに、キリスト教の中心がなんであるかに思いを結集いたしました。その結果、イエス・キリストの人格のうちに、キリスト教の真理、聖書の真理の存することを次第に知るようになりました。しかし、どうしても、よく分らぬものを残しつつ年月を過し、またよく分らぬままに証詞をしたり、書物を書いたりしてきました。私が始めて世に送った「キリスト教的焦躁」も、つぎの「真実を求むる者・キリスト者」も、一昨年の著「福音から見た神と人」も、イエス・キリストについては、一つの混乱から脱することができませんでした。私は「イエス・キリストは神である」とは一度も申しませんでしたが、それでもつねに「神の受肉せる人格」としてイエス・キリストを論じてきました。
3
しかし私は一九四九年(昭和二十四年)札幌市YMCAが再建されたおり、その目的条文を読み、ひとつの疑問をもつにいたりました。YMCAは、一八五五年のパリー標準をそのまま目的条文として用いているのでありますが、そのなかに「YMCAは聖書にもとづいてイエス・キリストを神とし、救主として仰ぎ・・・」としるしているのであります。「神が歴史の人となった」「神が受肉した」ということを極めて自然に告白できた私も「イエス・キリストが神である」という言葉には疑問を覚えたのであります。私はひそかに惑いました『イエス・キリストといえば「歴史の人」である。あく迄も「人」である。人であるからこそ「死」を死んだのである。神でないから「死」にえたのである。イエス・キリストの「死」こそ、人類の「罪の贖」であり、福音である。それなのに、イエス・キリストを尊び崇めるために「神」としてしまえば、聖書の神には死が無いから、神なるイエス・キリストの十字架上の死は一片の芝居と化してしまうことになって、福音を危くするのではないか』と。
4
私は一九五〇年(昭和二十五年)YMCA同盟からの要請により、YMCA目的条文についての疑義を提出致しました。これには正式の回答がありませんでした。昭和二十六年に母を天に送り、翌二十七年には宮部先生を天に送りました。私は神学を学びたい希望のもとに二十七年暮迫った十二月に居を東京に移しました。上京した翌年(昭和二十八年)、私は「YMCA目的一部改正についての意見」を提出致しました。この意見書には一つの大きな欠点がありました。私はこの中で「聖書は神、人となれりという秘義を語っても、人が神となるという異教的な思想を教えはしないのであります」とか「聖書はイエス・キリストは神が人となれる人格である事を教えても、その人となれるイエス・キリストが――今度は人から神になったとは教えないのであります」等と論じていたのであります。ここに一つの間違がありました。それは「神が人となる」という事でありました。私はこの間違に気がつき、私の意見を訂正したのであります。
5
丁度この頃――昭和二十八年十二月二十九日YMCA同盟に於て「イエス・キリストを神とする」という問題につきエミール・ブルンナー先生にお話を伺う会が開かれました。ブルンナー先生のようにYMCAのメンバーであり、且つ指導者である優れた神学者の意見を伺うことの出来ることを私は大変嬉しく思いました。会の終った時ブルンナー先生は『ドクターがイエス・キリストの神性を認めておられるので、信仰においては全く一致する。しかし、「イエス・キリストを神とし」という言葉の「神とし」が一九五五年の総会で万一除かれることにでもなれば、ドクターの意図に反し、米国あたりの、イエス・キリストは人間だと主張する人々を、ただ喜ばせることとなり、淋しいことになる』と申されました。その会で、私は二つの質問をブルンナー先生に問いました。
(一)神性を持つことと、神であることとの間の差異がどうであるか――すなわち、イエス・キリストの先在、甦り、昇天といった神性を認めることが、そのまま神なる告白となるべきものかどうか。
(二)イエス・キリストが神であるというなら、イエス・キリストの死は、神が死んだことになるが、聖書の立場から、果して神は死ねるものであるかどうか。
私は以上の二問を問うたのでありますが、残された記録を見ても、この二問には答は与えられませんでした。
6
昭和二十九年三月二日北森教授も参加した会議に於て、この問題が討議されました。そして北森教授より親しく反対の意見を伺ったのであります。この会議の後私は、北森教授の反対意見も取入れた所の「聖書に基くイエス・キリスト論」を同盟に提出致しました。その頃、北森教授は、さきに私の書きました「YMCA目的条文一部改正についての意見」を土台として「小田切博士の問題をめぐって」の一文を書かれましたが、その発表に先立ち、私の「聖書に基くイエス・キリスト論」を読まれ、その自ら書かれた文書に附記として一文を書き加えられました。これが同盟の配慮で私の「聖書に基くイエス・キリスト論」に合併されて、一冊として発表されたのであります。これによって、一応対立意見が文章の形で発表された訳でありまして、この資料に従って討議がなされることになったのであります。私は北森教授の文書を読み、教授の所論も分り、同時に教授のように知名のキリスト教学者もイエス・キリスト論については備え少きもののあることを知り、質疑の一文「北森教授の所論について」(イエス・キリストは神か)を公開致しました。これがいわゆる討議の第二文書であります。私はこの第二文書の中で、聖書は果して、子なる神が受肉したと告げて居るかと問い、ヨハネ伝は「独子の神」としてイエス・キリストを語っているか、また「血を流す神」(徒二〇・二八)がキリスト教的、聖書の神観たりうるかと問い、教授が「慎み深い証言」といわれたものを批判し、初代キリスト教徒の宣教したイエス・キリストは、「子なる神」といった「新らしい神」ではなく、むしろ「主」として「仲保者」「救主」「神の子」として宣教されたことを述べ、キリスト・イエスを「神」としなかったところに福音の純潔が保たれたのではなかろうかと問うたのであります。この第二文書に対し「小田切博士に答う」(「北森教授の所論について――イエス・キリストは神か」を読みて)なる一文が発表されました。これは極めて期待に反した文書でありました。私がイエス・キリストに関する明白なそして重要な多くの聖書の言葉を明示して問うたのに対しこれは答らしい内容の無い文書でありまして、到底表題の「小田切博士に答う」との答をもったものではありませんでした。私はこの一文に失望しながら「生産的討議とキリスト論」(北森教授の「小田切博士に答う」について)なる討議の第三文書を発表致しました。私は討議そのものが、聖書にもとづくキリスト論である以上、当然教授の希望されるような生産的語り合いとなるべきものであって、それが生産的語り合とならないのは教授が私の提供した、聖句について、正しく答えられないためである、と指摘し、教授の神学のバベル性を論じ、教授の語る福音は却って真の福音を危くするものではないかと論じました。そして、改めて、聖句を提示し、誤解する余地無き程に明瞭に語っている聖句の数々について、いかに考へられるかと問い、私自身の結論を、聖句の証明の上に置くように努力したのであります。
7
昭和二十九年七月十日同盟委員会が東山荘で開かれ、この問題が討議されることになりましたので、私はこの会に、既に公開した三文書を提出すると共に「YMCA目的条文についての疑義」(イエス・キリストは神か)なる一文を提出して数年来の提案を要約し、私見を開陳致しました。この同盟委員会において――規則上のこともあり、一九五五年のパリー大会にはYMCA目的条文の一部改正の私の意見書は提出できないことが分りました。それとともに、この問題は、将来の研究にまつこととなりました。しかし、私の書きました「YMCA目的条文についての疑義」は英訳され、欧米の同盟に送られることに決定致しました。一九四九年――今を去る数年前、北海道の札幌から提案致しました、この問題は以上のような経過をたどって今日に至りました。私は「イエス・キリストを神とする」ことは、イエス・キリスト御自身の言葉に背くとともに、それはまた決して聖書にもとづく意見とはいい難く、かえって聖書の真理である福音を危くするものであることを、聖書にもとづき、聖書の言葉で論述して見たいと思うものであります。とくにアムステルダムやエバンストンにおけるエキュメニカル会議においても「イエス・キリストを神とする」信条が、そのまま用いられて居ることに私は重大な関心を持たしめられるものであります。猶私は八月のパリー大会に先立ち、七月中旬に左記のパンフレツトを世界各国同盟に送り、YMCA同盟目的条文の検討を求めましたことを附記致します。
IN ORDER TO PRESERVE THE PURITY OF THE GOSPEL・・・・
A SUGGESTION FOR A REVISION OF THE PURPOSE
OF THE Y.M.C.A. CONSTITUTION
第二章 歴史の人「イエス・キリスト」
1
神殿に詣でた老人シメオンは、宮詣でに来たマリヤの手より幼な子イエスをその腕にかき抱き、神をほめ神に感謝して後、若き母マリアに語りました。「ごらんなさい。この幼な子は、イスラエルの多くの人を倒れさせたり立ち上らせたりするため、また反対を受けるしるしとして定められています――」と。この言葉は、いろいろな意味で真実な予言となりました。いわゆるキリスト論においてもまた多くのキリスト者をおし倒したり、立ち上らせたり、また反対を受けしめたりして、キリスト教史に多くの動乱を巻き起して来ました。私もまたこの動乱の渦中に自らをおいて数年の歳月はたちました。そして今や止むに止まれぬ思いから聖書の語るイエス・キリストについて論述することになりましたが、何かしらこのことに「畏れ」を感ぜしめられて居るのであります。それは伝統の教義への抗争のためでしょうか。それともこのことの故に福音に一層近接するためなのでしょうか。
2
「神」の思想は人類の歴史と共に古くあります。民族は民族で、個人は個人で、それぞれ「神」を信じてきております。神は「唯一の神」であったり、また神々であったり致します。そのため「神」の思想は複雑であつて、どうしても混乱を免れることができません。それでキリスト者がただ「神を信ずる」というだけでは、決して独自なキリスト教的信仰を述べたことにはならないのであります。キリスト者は神を信ずるに先立ちキリスト・イエスを信ずるものであつて、キリスト者の信ずる神とは、あくまでもキリスト・イエスによって示された神であります。それゆえ、キリスト・イエスに関わりなき「神」はキリスト教の「神」ではないのであります。実際問題として、どこの国でも――とくに東洋においては「神」を語ることは至難であります。なぜなら、神の教えはあまりに限りなく存するからであります。キリスト教は他の神や他の神々に対して、ある特定の神を一先づ宣教すると言う宗教ではなく、なによりも先ずキリスト・イエスを宣教するのであります。キリスト・イエスといえば「神」とはちがって間違われることのない唯一無二の歴史的人格であります。そもそもキリスト教は他の宗教と混同されやすい、神を説く前に、他の宗教とは決して混同されることのないイエス・キリストを語るのであります。そしていやしくも神について語る場合にはあくまでも「主イエス・キリストの父なる神」を語るのであります。すなわち、キリスト・イエスを除外しては語りえないのがキリスト教の神であります。そして、またキリスト・イエスが唯一無二の人格でありますから、神もまた唯一の神たる性格を持つのであります。すなわち、キリスト教においてはイエス・キリスト御自身は神ではなく、神といえば必ずイエス・キリストの父なる神なのであります。私共は初代のキリスト教徒達が神々の思想及び信仰の渦巻く異教の世界に福音を宣教するに当って「新しい神」「子なる神」としてイエス・キリストを伝えなかったことを深く考えてみなければならないと思います。私共は初代のキリスト教徒が「真理の御霊」に導びかれて宣教した、その時代の心遣いとか配慮とかを新約聖書の中に見出すことが出来るのでありまして、二十世紀の中葉を過ぎた今日、聖書にはない安易な教義の中に安住して初代キリスト教徒達の深い体験とその宣教の真実さをうち忘れてはならないのであります。
3
本来イエス・キリストに対する信仰告白として、イエス・キリストを神となすことが福音的であり、オーソドックスの信仰といわれ、人となすのが非福音的でリベラルな考え方といわれて来ました。それでもなおイエス・キリストの「歴史の人」であることは否定出来ませんので、必然に「真に人・真に神」なる奇妙な表現が用いられることになりました。そして三位一体の教義もまたイエス・キリストを神に高めるための努力の表れといえるでありましょう。しかし、イエス・キリストが真に人である点においては、オーソドックスの信仰に立つ人にとっても問題がないのであります。問題となるのは真に人なるイエスを神とするかしないかにあります。しかし聖書の明白に示しますように歴史の人イエス・キリストは神の受肉した人ではなく、永遠の神の子の受肉せる人格であります。受肉という言葉が示しますように真に人であります。しかし受肉前の先在を語るならば聖書的には「神」とよぶよりも「神の子」とこそよぶべきであります。すなわち、イエス・キリストの人格についての問に対する答は「神」とか「人」とかと答うべきではなく、ただ「神の子」と答うるのが聖書に基づく答であります。「神の子」は先在においても、受肉しても、死して甦って昇天しても、常に「神の子」と呼ばれて充分でありまして、それが聖書の語るイエス・キリストなのであります。
第三章 復活の主「イエス・キリスト」
1
イエスは神話中の人物ではありません。あくまでも歴史の人であります。ベツレヘムに生れ、ナザレに育った勤労者でありました。彼には父もあり、母もあり、そして祖先も明示されておりました。ヨセフの子、マリアの子とよばれ、身の丈も成長し、知恵も加わり、神と人から愛された人(ルカ二・五二)でありました。彼は三十才になった頃「神の国」の福音の宣教を始め、その年令ほぼ三十三才と思われる頃、エルサレムの郊外で十字架上に刑死致しました。すなわち、歴史の人としてのイエスはここにその生涯を閉じたのでありまして、もしイエスの宗教をイエス教とでも呼ぶならば、それは彼の十字架の死に終ったものであります。そしてイエス教は決してキリスト教ではないのであります。キリスト教とは十字架上に死せるイエスが三日目に復活したという驚くべき事件から始まったものであります。それゆえ、初代のキリスト教徒はすべて「甦りの証人」(徒一・二二)と自らを宣言したのであります。
2
イエスをキリストと告白したのは、イエスの生前ペテロによってなされたこともありますが(マタイ一六・一六)、その徹底した告白は復活の出来事の後でありました。肉の人イエスと生活を共にして来た人々にとっては、死人となったイエスの復活こそは非常な驚きでありました。イエスに対しその生前「イエスはキリスト(救主)かもしれない」と漠然と考えていた弟子達は、今や明白にイエスはキリストだと告白するようになりました。「イエスこそはキリストである」(徒一七・三、一八・五)「あなた方は・・・生命の君を殺してしまった。しかし神はこのイエスを死人の中から甦えらせた。私達はその事の証人である」(徒三・一五~)とは最初のキリスト教徒の固き信念であり、ここにこそキリスト教は誕生したのであります。すなわち、イエスの復活はキリスト教の出発となったものであり、同時にまたそれはキリスト教の中核を占める事となりました。すなわち、「もしキリストが甦えらなかったとしたら、私達の宣教は空しく、あなた方の信仰もまた空しい」(コリント前一五・一四)のであります。キリストは先ず「眠っている者の初穂として死人の中から甦り」丁度アダムにあってすべての人が死んでいるのと同じように、キリストにあってすべての人が生かされるのでありまして、まさに「死は勝利に呑まれてしまった」(同章五五)のであります。しかも甦りの主は、昇天して神の右において「私達のためにとりなして下さる。それゆえ誰がキリストの愛から私達を離れさせるのか。患難か、苦悩か、迫害か、飢えか、裸か、危難か、剣か」(ロマ八・三四――三五)否、なにものもキリストより離れさせることはできないという信念こそ、キリスト教徒をして迫害の嵐の中に突入せしめたところの力でありました。そしてキリスト者は何れも「勝ち得てあまりがある」(同章三七)体験を持つに至ったのであります。
3
甦りと昇天の出来事は、イエス・キリストの神性を明瞭ならしめたことであります。それゆえ、さかのぼってイエス・キリストの先在が考えられてきたのは当然なことでありました。しかし真に人であったイエスに仕えた人々が先在を考える時には、どうしても受肉が語られなければならないことも当然であります。只注意すべきことは、先在を語った初代キリスト教徒達はその先在の状態を指して「神」となさず「神の子」としたことであります。少くも「子なる神」などとは(北森教授のように)いわなかったのであります。ここにイエス・キリストの先在――受肉――死――甦り――昇天――再臨なるキリスト論の骨格ができ上ってきたのであります。
第四章 イエスの語る「イエス・キリスト」
1
キリスト教が一応成立した後に、福音書はしるされました。福音書がただのイエスの伝記というべきものでなく、信仰告白と見られますのは、復活なる驚嘆すべき出来事の後に書かれたからであります。勿論資料を提供した人がイエスの甦りにより「一変せしめられた信仰の人」であったでありましょう、またそれを整理して書き録した人は、皆信仰の人でありましたから、その文書に信仰の香、すなわち、信仰告白やその人の「神学」が香高く宿っているのは当然でありましょう。マルコは冒頭に「神の子イエス・キリストの福音のはじめ」と録して、先ず何よりも先にイエスがキリストであり「神の子」であると宣言しているのであります。ナザレ人と呼ばれたイエス自身が神の子であるという確信を持つことのできたのは、受洗の時であったようであります。天から響いた「あなたは私の愛する子、私の心にかなう者である」との声(マルコ一・一一)は恐らく彼のみ聞いた声であったでありましょう。この出来事のあとで、イエスは「神の子」たる自覚に基づく試練を受けねばなりませんでした。荒野の試みは「もしあなたが神の子であるなら・・・」に始まっていることで理解されるのであります。そして、荒野の試練の内容そのものが、「神の子」にふさわしい試練であったことでも知られるのであります。イエスの公生涯に入って後の一大事件と見られる山上の変貌において「これは、私の愛する子である。これに聞け」(マルコ九・七)との雲の中からの声は、ペテロ、ヤコブ、ヨハネ等もともに聞いた声でありました。イエスこそは神が「愛する子」といわれるに適わしい人格でありました。更にイエスについての大きな事件は、彼の死に引き続いた「甦り」であります。死体としてアリマタヤのヨセフの墓に葬られたイエスが、三日目に甦り弟子達に現れたこと「主はほんとうによみがえってシモンに現れなさった」(ルカ二四・三四)ということが、そして又一人一人甦りの主を見たことがキリスト教の礎石となったのであります。イエスの生涯においても、彼の奇跡の業や、彼の受洗――変貌――復活によってその「神性」は明示されておりますが、それでも福音書の記者達は一度もイエスを「神」として呼ぶ誘惑を感じてはおらなかったことに注目すべきであります。
2
そもそもイエスがその公生涯をかけて僅かな弟子達を教育した目的は、「教」を教えることではありませんでした。むしろ「イエス自身が何人なるかを知らしめる」ことにあったようであります。それ故キリスト教と云って教のような印象を与えるのは適当ではないのであります。イエスは「聖書の予言の成就者」(ルカ四・一六)であると語ったり、「人の罪を許し得る者」(ルカ五・二〇)と宣言したり「ソロモン、ヨナにも勝る者」(マタイ一二・四二)「宮よりも更に大いなるもの」(マタイ一二・六)「安息日の主」(ルカ六・五)と主張し「すべての予言者と律法とが予言したのはヨハネの時までで」(マタイ一一・一三)あって、彼こそは、聖書に勝る権威者であり(マタイ五・四四)、弟子達の目の前に立っているイエスは「多くの予言者や義人が熱心に見ようとして見ることができず、聞こうとしてもその声を聞きえなかった人格」(マタイ一三・一六――一七)であって、イエスの語る言葉は、「天地が滅びても滅びること」(マルコ一三・三一)のないものでありました。そして「すべてのことは父から(神から)任せられていて、子(イエス)を知る者は父の(神の)ほかなく、父(神)を知る者は子(イエス)と父(神)をあらわそうとして子(イエス)が選んだ者とのほかに誰もいない」(マタイ一一・二七)というのでありまして、これらはみな彼自身の独自な人格を示すことに重点のおかれていたことを示す言葉であります。
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とくにヨハネ伝は「初めに言があった。言は神と共にあった、言は神であった」(一・一)と語り、一切のものがこの言によって創造され(一・三)、この言が肉体となり、私達の中に宿った、私達はその栄光を見た、それは父のひとり子としての栄光であって、めぐみとまこととに満ちていた(一・一四)。神を見た者はまだひとりも居ない、ただ父のふところにいるひとり子なる神だけが神をあらわしたのである(一・一八)と書いております。言は先在のイエス・キリストをさすものと思われるのでありますが、しかしヨハネが「初めにイエス・キリストがいた。イエス・キリストは神とともにあった。イエス・キリストは神であった」とは書いて居らないことに注目すべきでありましょう。又「神(冠詞がついている神)と共にあった言」という以上はそれ自身は神ではないと思われるその言が、引き続き神(冠詞のついていない神)であったと云われている点にも問題性はあります(九章参照)。しかも、受肉論を述べるに際して、「神が肉体となり」とは明示せず、肉体となったのは「言」であるという点にも注意深い配慮がなされていると思われます。また受肉した者は「父のひとり子としての栄光」をもっていたというのでありますが、このひとり子もその次には「父のふところにいるひとり子なる神」となって、ひとり子に「神」がついて居るのであります。北森教授がイエスを神となす決定的テキストの二つの中の一つとしてあげたものは、この「ひとり子の神」でありました。然しこの所はよく知られていますように、テキストによってはただ「ひとり子」とのみなっていて、その下の「神」を欠くものがあるということであります。教授は「イエスは子なる神である」と断言され、「父と子とはいづれも神であるが、二つの存在様式は混同されてはならない。受肉し受難し給うたのは、父なる神ではなく、子なる神である」と論断しておられます。教授の「子なる神」とは、ヨハネ伝より引用したものでありますが、問題は、ヨハネ伝自身が一体「子なる神」を語っているかどうかということであります。誰でも知っていますように、ヨハネ伝のしるされた目的は、ヨハネ伝自らが示すとおりであります(二〇・三一)。すなわち、「これらのことを書いたのは、あなた方がイエスは神の子キリストであると信ずるためであり、またそう信じてイエスの名によって命を得るためである」と。而もこのように目的を明示したこの言葉は甦りの主を見て驚いたトマスが「わが主よ我が神よ」と叫んだということのすぐあとにしるされていることに注目すべきであります。すなわち、ヨハネ伝こそは、キリストを神の子と信じさせるために書かれた書でありまして決して「子なる神」という「新しい神」なるイエス・キリストを宣教したものではないのであります。イエス・キリストが「神性者」であることは共観福音書でも充分語られているのでありますが、ヨハネ伝では、祖先アブラハムの先に存在(八・五八)した者として、イエスの地上の生誕が決して彼の存在の始めでないことを示しております。その最も明白な発言は、「父よ、世が造られる前に、私がみそばで持っていた栄光で、今み前に私を輝かせて下さい」(一七・五)とのイエスの祈りと、自ら「天より下りし者」(三・一三)「父から出て世に来りし者」(一六・二八)と語られたことで理解されるのであります。イエスにとって死ぬことは「この世を去って父のみもとに行く」(一六・二八)ことであり、「私をおつかわしになったかたのみもとに行く」(七・三三)「人の子が前にいた所に上る」(六・六二)ことでありました。神を常に父とよぶイエスは、それゆえ「神の子」でありました。ヨハネ伝は、イエスを天の父より遣わされて世に来た「神の子」として、すなわち、あくまでも天なる父の命に従う者として語っております。「生ける父が私をつかわされた」、私は、「父によって生きていて」(六・五七)、「父のなさることを見てする以外に自分からは何事をもすることが出来ない」ということを「よくよく」(五・一九)語られているのであります。また「私の言葉を聞いて、私をつかわされたかたを信じる者は、永遠の生命をうけ、またさばかれる事がなく、死から命に移っているのである」(五・二四)との重大な発言もなさっておられます。ヨハネ伝は、「遣わされた神の子イエス」と「遣わした父」とが対比されており、「つかわされた者は、つかわした者にまさるものではない」(一三・一六)ことも教えているのであります。もちろん北森教授が指摘されたように、「私と父とは一つである」(一〇・三〇)とイエスは申しておられます。しかし、教授のいわれたように『イエスが父なる神によって「自己」そのものであることを示します』とはいえないのであります。なぜなら、イエスは「私は父である」とも「父は私である」ともいわれなかったからであります。父は父であって子ではなく、子は子であって父ではないからであります。しかし、イエスは次のように祈っておられます。「父よ、それはあなたが私のうちにおられ、私があなたのうちにいるように、みんなのものが一つとなるためであります」(ヨハネ一七・二一)と。パウロも「時の満ちたときは神は天にあるもの、地にあるものをことごとく、キリストにあって一つに帰せしめようとされたのである」(エペソ一・一〇)と。私共は聖書の語る一つであるという言葉の意味を誤解してはならないのであります。要するに全福音書を通じて強調されているイエスは、その独自な権威と人格であります。そしてイエスの弟子教育は、ピリポ、カイザリヤ地方の旅行の時に頂点に達したものといえるでありましょう。イエスは明白に、「あなた方は私を誰というか」(マタイ一六・一五)と問われ、ペテロが「あなたこそ生ける神の子、キリストです」と答えた時、イエスはペテロを祝福し「あなたにこのことをあらわしたのは、血肉ではなく、天にいます私の父である」(一六・一六―― 一七)と申されました。イエスの父なる神が自らペテロに示したイエスの人格像が、「神の子、キリスト」でありました。すなわち、共観福音書及ヨハネ伝よりくみ取られるイエス・キリストの人格像は「神」ではなく、又「子なる神」でもなく、あくまでも「神の子」なのであります。
第五章 「神の子」の受肉と受肉した「神の子」
1
初代キリスト教徒の宣教は、「あなた方はイエスを不法の人々の手で十字架につけて殺した。神はこのイエスを死の苦しみから解き放って、よみがえらせたのである。イエスが死に支配されている筈はなかったからである」(徒二・二三――二四)「あなた方が十字架につけたこのイエスを、神は、主またキリストとしておたてになったのである」(同二・三六)ということでありまして、十字架上に死んだイエスこそキリストである――「主」である。なぜなら、彼は死より甦ったからであると。このような告白と宣教が当初になされたようであります。アレキサンデリヤ生まれの、聖書に精通していたアポロが、アカヤにおいて「イエスがキリストである事を聖書に基づいて示し、公然とユダヤ人達を激しい語調で論破している」(徒一八・二八)ことでもわかるのであります。イエスはキリストである(徒一七・三、一八・五)との告白が、一般化するとともに、イエス・キリストという名称が固有名詞化し、次にはそのイエス・キリストは「主」(ピリポ二・一一)であると告白されるようになり、それが次第に「主イエス・キリスト」という慣用の呼び名となり、多くの場合に神と併立して語られるようになったものと考えられるのであります。「主」とは、新約聖書においては、イエスが神によって取り立てられた地位でありまして(徒二・三六)、神を意味する名称ではありませんでした。そのことのよく理解されます例は、「神は私達の主イエス・キリストによって、私達に勝利を賜わったのである」(コリント前一五・五七)とか「こうして心を一つにし、声をあわせて私達の主イエス・キリストの父なる神を崇めさせて下さるように」(ロマ一五・六)との言葉が示しますように「主」は常にイエス・キリストに冠せられ「神」とは関わりないということでその区別が理解されるのであります。パウロはあらゆる舌が「イエス・キリストは主である」と告白することが、栄光を父なる神に帰する事である(ピリピ二・一一)と申して居り、而も「イエスは主である」との告白は、聖霊によらなければ不可能なことでありました(コリント前一二・三)。キリスト者とは、イエス・キリストを主と告白する者のことでありました。
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初代キリスト者の宣教した世界には、多くの神、多くの主があったのでありますが(コリント前八・五)、キリスト者には「父なる唯一の神のみがいまし」又「唯一の主、イエス・キリストのみがいます」(同八・六)ので「万物はこの主により、私達もこの主によっている」(同)のでありました。ここにも父なる唯一の神に対し、唯一の主イエス・キリストが併立して語られているのでありまして、イエス・キリストを主と告白することは、神と告白することでないことが明らかなのであります。福音を異邦に宣教するに際し、イエスをメシヤ(油そそがれた者)として語るよりも「主」と語る方が、より適当であったのかもしれません。初代キリスト教徒は、神々の世界に唯一の神を、そして、多くの主のいる世界に、唯一の主を宣べ伝えたのでありまして、神とイエス・キリストとは混同されることがなかったのであります。それがいつとはなしに混同されたり、イエス・キリストが神とみなされるようになってしまいましたが、このことは新約聖書の中には無いことなのであります。
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ヨハネ第一の書の著者は、永遠の生命であるイエス・キリストは、父と共にいましたが今や私達にあらわれたのだ(一・二)と語っております。この言葉は、私共に「父と子の交わり」なる永遠の天の家庭の存在を思わしめます。そしてこのことは、イエス御自身の御言葉によっても想像せしめられるものであります(ヨハネ伝八・五八、六・六二、七・三三、一六・二八、一七・五)。さらに、ヘブル書は、神は御子を万物の相続者と定め、御子によって、もろもろの世界を創られた(一・二)そして、神は御子なるイエスを暫くの間御使達よりも低い者となさって、死の苦しみの故に栄光と誉れとを与えられた。それはイエスが神の恵みによって、総ての人のために死を味わわれるためであった(二・九)。イエスは血と肉と備えて居られたが、それは死の力を持つ者即ち悪魔を御自分の死によりて滅ぼし、死の恐怖のために一生涯奴隷となっていた者達を解き放つためであり(二・一四 ―― 一五)イエスが神の御前に憐み深い忠実な大祭司となって、民の罪を贖うために、あらゆる点に於て兄弟達と同じようにならねばならなかったのは、主御自身試錬をうけて苦しまれ、その体験から試錬の中にある者達を助けることが出来るためである」(二・一七―― 一八)とこのように語って、天地の創造に与った永遠の御子が、全く人になり切ったということを告げているのであります。それ故、これは一応受肉の秘義を語っているものと言えるでありましょう。しかし、それは「神の子」の受肉で「神の受肉」ではないのであります。それはヨハネ伝の「神と共にあった言」が、「肉体となって私達の中に宿った」との言葉に通ずるものがあります。又ヨハネ第一書は、「イエス・キリストは肉にて来り給うた」(四・二)と明記して、受肉の出来事を極めて具体的に語っているのであります。要するに、ヘブル書においては、受肉した存在は「神の栄光の輝き」「神の本質の真の姿」(一・三)であった御子すなわち、神の子でありまして決して「神」でも「子なる神」でもありませんでした。またパウロによりますと、「キリストは神のかたちであられたが、神と等しくあることを固守すべきこととは思わず、反って己れを空しうして僕のかたちを取り、人間の姿になられた、その有様は人と異ならず己れを低くして死に至るまで、然も十字架の死に至るまで従順であられた、それ故に、神は彼を高く引き上げ、総ての名に勝る名を彼に賜わった、それはイエスの名によって天上のもの、地上のもの、地下のものなどあらゆるものが膝を屈め、又あらゆる舌がイエス・キリストは主であると告白して栄光を父なる神に帰するためでありました(ピリピ二・六 ―― 一一)。
すなわち、イエス・キリストの先在が主張されても、その先在が「神」とは語られず、あく迄も「御子」であって、イエス御自身の語られる先在もまた父なる神に対する「子」としての「我」でありました(ヨハネ伝七・三三、一六・二八、一七・五)。パウロは「時の満ちるに及んで神は御子を女から生まれさせ、律法の下に生まれさせてお遣わしになった。それは律法の下にあるものを贖い出すため、私達に子たる身分を授けるためであった」(ガラテヤ四・四――五)と「御子の受肉」を語り、かつイエス・キリストを指しては「御子は肉によればダビデの子孫から生まれ、聖なる霊によれば死人からの復活により、御力をもって神の子と定められた、これが、私達の主イエス・キリストである」(ロマ一・三 ―― 四)と「受肉の御子」を語っております。ようするに、聖書においては「神の子」の受肉と受肉した「神の子」が語られているのであります。すなわち、聖書は北森教授の主張するように「神が人となる」ことを教えてはおらないのであります。
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更に、受肉せる神の子については「罪のきよめの業をなし終えてからいと高き所にいます大能者の右に、座につかれたのであり」(ヘブル一・三、ペテロ前三・二二)「神はその力をキリストの中に働かせて彼を死人の中から甦らせ、天上に於て御自分の右に座せしめ」(エペソ書一・二〇)たというのであります。そしてコロサイ書は、「このようにあなた方はキリストと共に甦らされたのだから、上にあるものを求めなさい。そこではキリストが神の右に座しておられるのである」(三・一)と語り、キリスト教徒については「わたしのいる所に一緒にいるようにして下さい」(ヨハネ一七・二四)とのイエスの祈のごとく、又「勝利を得る者にはわたしと共にわたしの座につかせよう。それはちょうどわたしが勝利を得てわたしの父と共にその御座についたのと同様である」(黙三・二一)といわれるように、キリスト者もまた天的存在とせられるようであります。――それ故「わたしたちのいのちなるキリストが現われる時には、あなた方もキリストと共に栄光のうちに現われるであろう」(コロサイ三・四)とさえ語られる訳であります。これらによって見ますと、イエス・キリストが神性者であるとともに、キリスト者もまた神性者とされるものであることが示され、ここに「神性者」は決して直ちに「神」でないことが理解されるのであります。今迄イエス・キリストの神性を強調して「神」とした事は誤りであったといわねばなりません。
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要するに、聖書は、死して甦り昇天したイエス・キリストは、もと居りし所である(ヨハネ六・六二)神の右に座したというのでありまして、決して「神」になったと告げないのであります。然もキリスト・イエスは、その神の右なる座に於て私達のためにとりなして下さる(ロマ八・三四)のであって、最初の殉教者ステパノが天をみつめて仰ぎ見たのは神の右に立つイエスであり、彼はその瞬間「ああ、天が開けて人の子が神の右に立っておいでになるのが見える」と叫び、死に際しては「主イエスよ、私の霊をおうけ下さい」と祈り、且つ「主よ、どうぞこの罪を彼らに負わせないで下さい」(徒七・五五――六〇)と、イエスの死の際にも似た崇高な祈を捧げて、殉教の死を遂げました。
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ヨハネ伝の中で、とくに注目を要するのは、「永遠の命とは唯一のまことの神でいますあなたと、またあなたがつかわされたイエス・キリストを知ることであります」(一七・三)というイエスの御言葉であります。すなわち、永遠の生命を担う神の国のメンバーは、国王なる唯一の真の神と「万物の相続者と定めた御子」(ヘブル一・二)なる長子イエス・キリストと(ロマ八・二九)キリストと共同の相続人(ロマ八・一七)である所の、すなわち、御子のかたちに似たものとせしめられたキリスト者(ロマ八・二九)であって、「神の国」における神とキリストとの差は、父と長子であり、キリストとキリスト者との差は、本来神の独子(ヨハネ第一書四・九、ヨハネ伝三・一六)であって、もともと相続人と定められた長子と、キリスト・イエスの故に相続に与らしめられたものとの差であります。とくに、キリストに対する神は、父であるとともに、キリストを世に遣わした方であり、又彼の命に従って十字架に死したイエスを甦らせてその右にあげ給うた方であって、万物をイエス・キリストに従わしめる方(コリント前一五・二七)であります。そして、イエス・キリストは、万物が彼に従った時には――万物を彼に従わせた方である父なる神に自ら従うことになるのでありまして(コリント前一五・二八)、イエス・キリストの首【かしら】は神であり(コリント前一一・三)キリストは、神のものなのであります(コリント前三・二三)。このように、新約聖書においてはキリスト・イエスの人格と地位とは独自なものであります。すなわち、彼は神と呼ばるべきではなく――又受肉したからとて人としてのみ止まらず――あく迄も「神の子」と呼ばるべき方であります。すなわち、キリスト・イエスについて、その先在――受肉――甦り――昇天という所謂全過程を通じて、もし呼ばれ得る正しい唯一の名があると致しますならば、それは「神の子」なのであります。
第六章 北森教授のキリスト論
北森教授は「小田切博士の問題をめぐって」なる文書において、『聖書は、人が神と成ることをいかなる意味においても認めて居らず、たとえ人なるイエスについても、このような命題は成立しない。成り立ち得る唯一の命題は「神が人と成る」という事である』と言っております。この文章からしますと「人なるイエスが神となる事を聖書はいかなる意味においても認めて居らぬ」ということになります。それでは私と同様イエス・キリストは神ではないと言うのが教授の意見かと思いますと教授は引続き次の様に議論を展開致しました。『さてそこで本論は、この命題が聖書に基づいて成り立つかどうかの検討にある。小田切博士によれば「死を徹底的に死ぬ者は肉を持てる人――即ち受肉の人にのみ可能な事であり」、従って「神の子」「神の独子」についてはこのようなことが言われえても「神」については決して言われえないことになる。私も、死が受肉者なるキリストについてのみ言われうることは同意する。問題はその受肉者――血を流すことの出来る人間――が同時に神であると言う信仰は、聖書に基づいては成り立ちえないのか、と言うことになる。この点に関する決定的なテキストは使徒行伝二〇・二八である。「神の己の血をもて買い給いし教会」とある。エペソ書五・二五に「キリストの教会を愛し、之がため己を捨て給いし如く」とある所よりすれば、血をもて教会を買い給いし主体は、明らかにイエス・キリストであるが、その主体が使徒行伝では明白に「神」とされているのである。「血を流す」ということは、最も固有なる意味に於て人間存在について言われることであるが、その人間存在たる受肉者が、明白に「神」として告白されている。――以上は聖書に基づいて「イエス・キリストを神とする」信仰の成立を検討したのである』と。私が長々と教授の言葉を引用致しましたのは、これは全文書中、取り上げるべき重要な部分であり又ここに教授のキリスト論の混乱が暴露されているように思われるからであります。教授は、前文において一応人は神とはならない、たとえ人なるイエスについてもこのような命題は成立しない。これが聖書の主張であると論じながら、すぐ引続き、血を流すことの出来る人間――が同時に神であると言う信仰は、聖書に基づいては成り立ちえないのかと自ら問い、それが成り立つ事を使徒行伝二〇・二八に求め『その人間存在たる受肉者が、明白に「神」として告白されている』と論じ、見事に『聖書に基づいて「イエス・キリストを神とする」信仰の成立を検討したのである』と結論づけておられるのであります。すなわち、神になれないというイエス・キリストが忽ち神になってしまっているのであります。これは誰が読んでも不思議な議論であります。又教授の前文のように「成り立ち得る唯一の命題」と語る「神が人となる」ことを認めて「人が神となる」事については、「逆は必ずしも真ならず」という論理の法則一つで立派に否定すると言われますなら、神が人となったイエス・キリストは一度「人」としての使命を終って、死して、甦り、昇天してからは「何」になったというのでありましょうか。神が受肉した以上はもう二度と神になれないと言うのであれば、神は受肉したために「神ならざる」者になってしまうことになります。もし、イエス・キリストを神が人となった人格と呼びますなら、イエス・キリストが人としての使命を終えた時には、又「神」に戻ったと言った方が自然なのではありますまいか。それなのに人となった以上は「神」になれないと言いつつも、教授の言わんとする事は結局「イエス・キリストは神である」と言う事なのでありますから、どうしても私には矛盾した議論と思われるのであります。教授は、「イエス・キリストを神とよんでいる明白なテキストは使徒行伝二〇・二八とヨハネ伝一・一八(「独子の神」)の二ヶ所につきるといえるかもしれない」と申しております。しかし「独子の神」の方は既に論じましたから言及致しませんが、使徒行伝の方は「神」が「主」になっている、テキストもあることを考えるべきであります。もし「主」ならば、当然なことを語っている訳で、問題になりません。然し一応この問題の聖句を含む使徒行伝二〇章を見て見ましょう。これはパウロがミレトにおいて、エペソから招きよせた「教会の長老達」に語った袂別の辞の一句であります。パウロはこのとき、「神に対する悔改め」と「主イエスに対する信仰」について語り「主イエスから賜わった、神のめぐみの福音」を語っており、いつものパウロのように主イエスと神とは併立して語られております。それが同じ話のうちで、急にイエスが神になっておるというのでは、おかしいのであります。それで、この「神」が他のテキストの様に「主」であれば極めて自然であります。又「己の血」が「御子の血」(口語訳最近版)であれば、もう全く問題がないのであります。その方がパウロの自ら書いた文書の中の神観、キリスト観と一致するのであります。それでも私は第一文書の中でこう書きました。『私はルカの筆になる使徒行伝中のパウロの信仰史と、パウロ自ら書き記した信仰史との不一致については、パウロの書いたガラテヤ書の方により歴史性のある事を信じて来ました。それとともにパウロの思想については、ルカが紹介したパウロのいくつかの説教より、パウロ自身の書いた書簡の方に重きを置くべきものと信じて来て居ります。冷静にパウロ自身の記したイエス観を見ますならば、イエスはあくまでも「神の子」であります』とこのように論じ、パウロのイエス観のうちからは「イエスは主なり」「イエスはキリストなり」「イエスは神の子なり」と言う事が言われても「イエスは神なり」とのイエス観は生まれては来ないのであって、正式にパウロのイエス観を取り上げた際に、果して教授の取り上げたこの言葉がどれ位重要な地位を――パウロのイエス観中に占めうるものであるかは実に問題であり、しかもイエスを論ずることを直接の目的として語られたものではないこの様な只一つの言葉を捉え、パウロはイエスを神と称したと主張したり、さらに之がパウロ個人の意見に止まらず、直ちに聖書がイエスを神としている根拠として使用されることには、どうしても賛同し難く、なお血を流す神と言った神観は聖書の中心的神観たりうるものではなく、又パウロ自身の神学的香り高き神観やキリスト論から見て到底重要な地位を占め得るものではないと結論致しました。もちろんこの意見に対し、教授はこの部分は「イエス・キリストの人格について語られているという意味においては、正に中心的部分に属するものである」と応酬されました。しかし「神の己の血をもて買いし教会」なる一句の中に、どうしてイエス・キリストの人格が語られているのでありましょうか又この事では「己れの血」が「御子の血」となったとしてもほぼ同様であります。教授はアリウスによる「異なる福音」から福音を守るために、教会は、明確にイエス・キリストを「神」として告白する表現に迫られたと言える。もしアリウス主義が出現しなかったならば、小田切博士がいわれるとおり「神の子」だけで十分であったでもあろう、と言われさらにイエスを「神の子」と告白するだけでは真理を支え切れなくなり、明確に「神」となす必然性が生じたと考えられると語られました。私はこの言葉に対しイエスを「神の子」と告白するだけでは真理を支え切れなくなったと言う主張は殆んど新約聖書が無用になったとの発言にも等しいもので、これこそは大問題でありますと論評致しました。そして私は聖書が明確、大胆に語っている事柄だけで、その真理を充分尽していると信ぜられるし、聖書の真理はなにかによって支えられる必要を認めないのであって、聖書は真理そのものを証詞し、その真理こそはイエス・キリストであると論じました。そして私はかなり多くの聖句を提供して、教授の意見を求めました。教授は只二ヶ所の聖句を提供された丈でしたが、私はその聖句の重要性や史実性に疑問があり、それに勝る明白な聖書の証言を多く提供して、イエスを神とするのが、聖書のイエス・キリスト観なるか否かを問うたのでありますが、それに対する教授の「小田切博士に答う」なる一文は答にはならないものでありました。教授は「生産的な語り合」を求められましたが、「生産的な語り合」とならなかったのは、むしろ教授の責任だと考えられるのであります。なぜなら、私の提供した聖書の重要なイエス・キリスト論についてはなんの討議も加えられなかったからであります。論議としては、聖書のキリスト論程、生産的な討議となるものは無い筈であります。それを非生産的なものに導いたのは教授が広く聖書に基づくキリスト論の討議を避けたためであります。しかし、私はこのことで疑問をもちましたことは、教授の言われるように聖書で不充分なキリスト教的真理が果してあるかどうかと言う事であります。また聖書で真理が支え切れなくなって、人間の思想を加えて、真理を支えなければならないというようなことがあれば、もう聖書は無用となり、燭台用にしかならなくなったということと、同じ事になるのではなかろうか、ということであります。また教授のいわれるように「アリウス主義に当面して教会が止むなく展開せしめたのが三位一体論」でありますなら、それは相手次第でどうにでも変化するものとなり、極めて不安定なものとなるのではありますまいか。聖書は歴史上見られた時々の論議にそれほど権威をうしなってきたものでしょうか。それとも、それは、聖書を学ぶ者にこそ責任があり、聖書は人手をまたない、聖なる書であり「真理の書」なのではありますまいか。私はアリウスの異端が、聖書にないまたは聖書に欠くる真理を増し加えるに役立ったとは考えることができません。聖書を逸脱することはどうしても正しいこととは言えないのであります。要するに、北森教授が「イエス・キリストを神と呼んでいる明白なテキストはこの二ヶ所につきると言えるかもしれない」と指摘なさったヨハネ伝第一章一八節と使徒行伝第二〇章二八節については、前者はヨハネ伝の性格――特に其の目的(二〇・三一)により、又後者は口語訳最近版による訳文からして、何れも、その主張となっている根拠が失われてしまった様であります。即ちイエス・キリストを神と呼んでいる明白なテキストは遂に皆無となってしまったもののようであります。実は私には教授が「二ヶ所につきると言えるかも知れない」として指摘なさったものよりもっと重要なヶ所が他にある様に思われてなりません。それで一応第九章に「問題となる聖句」をかかげて論じて見ました。テトス書の如きは、ブルトマンが慎重に取り上げられたものであります。
第七章 福音を危くする三位一体論と
三位の一体性を破る福音
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聖書における「神」の思想と「人」の思想とは、あくまでも神は神であり、人は人であるということであります。すなわち、神は人とならず――受肉せず、人は神とはならないのであります。北森教授は、イエスは子なる神であり、父と子とはいづれも神であるが、二つの存在様式は混同されてはならない、受肉し受難し給うたのは、父なる神ではなく、子なる神であると申して居られますが、既にヘブル書に基づいて論証致しましたように、天より受肉したのは「子なる神」ではなく、あくまでも「神の子」――天地の創造に与った永遠の神の子でありました。またすでに詳論いたしましたように、新約聖書――とくにヘブル書とヨハネ第一の書とヨハネ伝の中から想定されます所謂天の家庭は、神と、神の子との交わりの世界でありまして、教授のいわれるような父なる神、子なる神といった神々の家庭ではありませんでした。たとえ、「子なる」という形容詞がつくにせよ、先在のキリスト・イエスを「神」とは呼ばず、あくまでも「神の子」と呼んだところに新約聖書の語る「神の子」たる人格の持つ秘義が存するのであります。そして、新約聖書の語る受肉の出来事は、神の受肉――子なる神の受肉ではなく、――あくまでも神の子の受肉であります。神が人となるという――神の受肉を語るのは異教に多く見られる思想でありまして、聖書の神は決して人とならないのであります。天より下って神と人との間の仲保者となったのは、神の子でありました。すなわち、神は神であり、人が人であるところに仲保者の存在意義があるのであります。また仲保者が存在するということは、他面神が人とならず、人が神とならないことを意味しているわけであります。神と人との間には、仲保者なるキリスト・イエスが立ち給うのであります。それゆえ祈りもまたキリスト・イエスの名によって捧げられるのであります。即ち聖書の語る神と人との間には、厳しいへだたりがあって異教のように簡単に行き来する架け橋はないのであります。人は直接神を見る事は出来ません。又直接神に聞く事も出来ません。ただキリスト・イエスを見る者は神を見る者であり、キリスト・イエス御自身が神の言と云われるのであります。これが啓示の意味であります。神は神自身を啓示する、神の子イエス・キリストにおいてもなお「隠れたる神」なのであります。
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聖書の神は、イエス御自身語られたように、隠れたるに見給う神(マタイ六・四)であって、所謂「隠れたる神」であります。決して顕わな神となり給わざる神であります。神はあくまでも目に見えず(ヨハネ一・一八)手にふれることのできない存在でありまして、神を見るという事は、罪なる人間には許されてはおらないことなのであります。もし目に見える神、手にふれる神があると致しますなら、それは偶像神に他ならないのであります。たとえ、「はじめからあったものでも、それが生命の言であっても、聞いたり見たり手でさわることのできたもの」(ヨハネ第一書一・一)――、すなわち、イエス・キリストを神と呼ぶならば、まさにイエス・キリストを偶像神扱いにする事になるのであります。それは反ってイエス・キリストを冒瀆する事となるのであります。オーソドックスの信仰は、イエスを「真に人・真に神」と告白するのでありますがそれは聖書には無い所の告白であります。聖書の立場からは真に人といえば神ではなく、又真に神といえば人ではありえません。もし、真に人であって、真に神なる人格があると致しますならば、人が神と呼ばれる訳で、それは聖書の人間観でも神観でもないところのものとなるのであります。初代のキリスト者が対決した皇帝礼拝における皇帝は、真に人でありながら真に神と呼ばれたものでありまして、日本の新興宗教におけるいわゆる生神様の如きも、真に人で真に神なる存在と信じられているのであります。それで聖書には見出されない「真に人・真に神」という言葉は、その内容自体が非キリスト教的でありまして、この言葉をもってイエス・キリストを表わすことは、危険極まりない誤りであります。イエス・キリストはたとえ先在していた人格であっても、受肉という出来事を介して真に人なる人格であります。然し真の人のままで神の子と呼ばれ、且つ御自身もまた神の子と宣言なさった方でありました。神の子イエス・キリストは人類の罪を贖うため、十字架上に徹底的に死を死んだのでありますが、神はこのイエスを死人の中から甦らしめて、神の右に座せしめ給いました。ここにキリストなるイエスは本来の神性に輝く存在となったのであります。それでも神とは呼ばれず、呼ばれる名は「神の子」でありました。
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三位一体の教義はイエス・キリストを神とする事から生れたものでありますが、それは決して聖書の教えている所のものではないのであります。北森教授によれば「この三位一体論はアリウス主義に当面して、教会がやむなく展開せしめたのである」というのでありますから、聖書の中にないのも当然であります。しかし、教授は「その真理の実体はあくまでも聖書に基づいていると私は信じる」と云われるのであります。教授の信じていられる事は私の批判すべき事柄ではありません。然し、私の求むるのは、聖書に基づくといわれる真理の実体を、聖書に基づいて論証される事であります。三位一体の教義は、イエス・キリストを神の側に吸収してしまって、聖書が明白に語る「イエス・キリストは仲保者である」という真理を失わせてしまうのであります。三位一体の教義は第二位格の神(子なる神)の受肉を語るのでありますが、受肉の教義が徹底的に語られますならば、自ら三位の一体性が破れるのではありますまいか。すなわち、三位が「不離の関係のままで(一体のままで)」その中の一格をして受肉せしめることは、考え及ばないことといわなければなりません。さらにまた受肉して人となれるイエス・キリストが死して死体となり、墓に葬られたというのでありますが、そんな死体となった「時」においてすら、なほ一体性が確立しているという神は、聖書の思想からは考え硬いのでありまして、イエス・キリストの死が徹底した死であればある程――これが福音でありますが――三位の一体性は破れざるをえないのであります。何故なら、一体として語られる神には、いかなる意味においても「死」がありえないからであります。
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イエス・キリストはよく祈られました。祈りとは祈る対象が神であって、祈る者の方が「神でない」場合に成立することであります。もしイエス・キリストが北森教授のいわれるように、父なる神にとって自己そのものであると致しますなら、イエスが父なる神に祈った祈りは、自己への祈りとなりましょう。そうすれば祈りの持つ対話性が失われ、イエスの祈りはすべて独語(モノローグ)となってしまいます。ゲッセマネの祈りは「アバ父よ、あなたにはできない事はありません。どうかこの盃を私から取りのけて下さい。しかし私の思いではなく、み心のままになさって下さい」(マルコ一四・三六)でありますが、これがどうして独語(モノローグ)といえるでありましょう。人は自己に対して、どうか取りのけて下さいと願ったり、また自己に対してみ心を伺ったりはしないのであります。さらに、十字架上の死の瞬間に、イエス・キリストの叫び給うた「わが神わが神、どうして私をお見棄てになったのですか」は、どうして自己自身への訴え、叫びといえるでありましょうか。十字架上におけるイエス・キリストの死の体験は、断じて生物学的現象の死の恐怖の体験であったのではありません。イエス・キリストの死こそは歴史上、あとにも、さきにも見られぬ「唯一の死」であり、「真の死」でありました。すなわち、多くの人の贖として自分の生命を与えることであり(マタイ二〇・二八)、すべての人の贖(テモテ前二・六)のために死を味わうことであって(ヘブル二・九)、その死はあくまでも罪を贖うことに理由づけられた「唯一の死」であったのであります。それは「御子を罪の肉のさまで、罪の為に遣わし、肉に於て罪を罰せられたのである」(ロマ八・三)という意味の死でありました。そして、「罪の支払う報酬は死である」(ロマ六・二三)というその死――人間にとって絶対宿命の死が、本来意味する所の最も厳しい意味においての死を死んだのでありまして、死の瞬間においては、万民の罪を担った罪人として――神の敵として――それ故それ迄続けられた神との間の「父と子」の交わりさえも打ち断たれ、「父よ」と呼ぶことも許されず、僅かに「わが神わが神」とのみ呼ばわり、呪われる者となって(ガラテヤ三・一三)心霊の暗黒の中に(マルコ一五・三三)真の死をそして贖の死を死に給うたのであります。ここに福音の秘義があるのであります。キリスト・イエスの十字架は、人類の罪が――神の前において持つ厳しい意味を極めて具体的に示したものでありまして、イエス・キリストは罪を贖うために代表的罪人とせられて(ロマ八・三)、神の前に立たしめられ、「罪を贖う」という事がいかに人の思いを絶したところの――天地万有が声を呑んで見守るという、宇宙的な激しくもまた厳しい出来事であるかが、このイエスの「わが神わが神、どうして私をお見棄てになったのですか」という言葉の中に示されているのであります。このような十字架の秘義は、安易な三位一体の教義を激しく打ち破るのであります。なぜなら、もし、イエス・キリストが第二格の神(子なる神)であるといいますなら、「どうして私をお見棄てになったのですか」という叫びの真剣さ、おそろしさというものが、正しく考えられなくなるからであります。三位一体を強調し、イエス・キリストを神であるということが、福音たる十字架の死の持つ意義――神の前に罪を贖うということの厳しい意義を、その深さに於て了解せしめず、一歩誤まれば神々の芝居となり、聖書の福音は打ちこわされてしまうのであります。比較的東方に拡まったテキストには、ヘブル書二章九節の「カリティ」が「コーリス」となっていて、「神なくして万民のために死を味わった」こととなっているのであります。――ある意味においてはこの言葉ほどイエス・キリストの十字架の死の厳しさを物語る言葉はないと存じます。「神なくしての死」が極み迄厳しく味わわれているという十字架の死ほど三位の一体性を破るものはないといわなければなりません。このように福音としての十字架の死が徹底的に語られる時には、その深さにおいて三位の一体性は破れざるをえないのであります。それとともに、また反対に、三位一体を強調致しますならば、福音としてのイエス・キリストの十字架の死が芝居化するという福音の破れを来すことになるのであります。新約聖書の時代が過ぎてから、それが北森教授の云われるような、真理を支えるためと説明せられるにしても、イエス・キリストを神として「三位一体」の教義を作り上げた教会は、遂に聖書の福音を危うからしめたことに気がつきませんでした。そして信仰深き教義たる仮面のもとに、「福音の真実」を遮って来たのであります。北森教授は、「聖書の福音の中心は、イエス・キリストの十字架において、神の自己犠牲が示されている点にあります」と述べ、私に対し「神の自己犠牲という福音の中心はどうなるか」と問うておられます。しかし、イエス・キリストの十字架は聖書のどこにも「神の自己犠牲」として説かれてはおらないのであります。神の自己犠牲といえば、神が誰かのために犠性となっていても、そこにはその犠牲を受けいれる神がおらない訳であります。然るに、イエス・キリストの十字架には、なぜ私をお見棄てになったのかと訴えざるをえない、御顔を隠した神が対象としてあるのでありまして、その死は、呪いと神の怒りと神の審きとを、全面にうけたところの死でありました。そこには決して犠牲という言葉のもつ悲壮さに裏づけられた快さは見られないのであります。北森教授はヨハネ伝三章一六節が、文字通り、神の自己犠牲になると主張されておりますが、この聖句は「神はそのひとり子を賜わったほどにこの世を愛して下さった。それは御子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命をうるためである」というのであります。――これは、果して教授の云われるように、「神の自己犠牲」を而も文字通りに示している言葉なのでありましょうか。文字通りに解釈するならば、「神様がそのひとり子を賜わった」ということであって、これこそ実に私の主張そのものであり、そのうちからは、神の自己犠牲という解釈は、到底なされないのであります。自己の神学に合致するように聖書から読み出す事は、注意すべきことであります。
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そもそも罪を贖うということは、贖われなければならない罪を持つ者と、その罪を贖う者と、その贖を受けいれる者との三者がなければならないことを教えているのであります。イエス・キリストが罪の贖い主であるということは、そこに彼が罪を贖つたところの罪人(人類)と、その贖を受けいれた神とがいますことを示しているのでありまして、贖い主は中間に立つ存在でなければなりません。その意味からは、イエス・キリストが神であってはならないのであります。そしてまた人であってもならないのであります。それ故にこそ、イエス・キリストは仲保者であり、「神の子」なのであります。本来罪を贖うということは、人に可能なことではありません。さればといって、神の自己犠牲によるとか――神の受肉によってなされたこととは聖書は教えないのであります。ただ聖書は永遠の「神の子」の受肉によってなされた事を語りながら、「神の子」の持つ秘義と、その仲保者たる特殊な性格とを語っているのであります。キリスト・イエスとは神の子の受肉者であり、神と人との仲保者であり、人類の罪の贖いの主なのであります。これを聖書全般より見ますならば、「神の子」は父なる神とともに創造に参与なさいました。しかるに、その創造に破れが生じました。それは創造の頂点に立つ人間が罪を犯したためであります。神の子は、その創造の破れの恢復のために、受肉して「人」となり、その破れを恢復なさいました。このようなことが――その底において語られているのであります。それ故イエス・キリストの「十字架の死」の出来事は宇宙創造に比すべき、宇宙創造以来の出来事、すなわち、宇宙の救済に関る出来事なのであります。そしてここに第二の創造の秘義(コリント後五、一七)が示されるのであります。要するにイエス・キリストは「神」ではなく、神より遣わされた永遠の神の子の受肉者であります。すなわち、その先在において「神の子」であり、その受肉に於て「神の子」であり、死して甦り、昇天し、神の右に座してもまた「神の子」でありまして、この「神の子」にこそ、聖書の真理の秘義がひそむのであります。福音とは「永遠の神の子」の受肉と、その受肉した「神の子」なるイエス・キリストの十字架の死――罪の贖――復活にあるのでありますから、私共キリスト者はこの聖書の語る「福音」に堅く立ち、この「福音」を危くするものは、聖書の光で除去すべきであります。なお私は、パウロが説き、内村鑑三先生が死に至るまで祈り且つ願ったという「宇宙の完成」の秘義――万有の福音に論及したいと思います。
第八章 死人・屍体・万有の福音
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死人の復活を信じないサドカイ人に対し、イエスは「あなたがたは聖書も神の力も知らないから、思い違いをしている・・・」(マタイ二二・二九)と語りなさいました。イエスは此のマタイ伝二二章で、死人の復活の状態が天使のごとくであると説明なさって、神は「生きている者の神」で「死んだ者の神ではない」と告げ、死人が甦えることの証左を「わたしはアブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神である」という神御自身の宣言の中に指摘なさいました。この「生きている者の神」であるとの言葉には二つの解釈が可能であります。一つは神御自身が死に去った過去の人アブラハムについて、わたしはアブラハムの神であったといわず、神であると言う現在形を用いているところに、死人と考えられるアブラハムが実は現在神御自身には生きている者であり、それゆえに神は「生きている者の神」と語っておられるのだと言うわけでありまして、この考からはアブラハムは死んではいないこととなるのであります。イサク、ヤコブについても同様であります。ルカはこの言葉のあとに「人はみな神に生きるものだからである」(二〇・三八)との一句を挿入しております。もちろん、旧約聖書の中には神にとり去られたエノク事件(創五・二四)があり、予言者エリヤは大風に乗り天に上った(列王下二・一一)といわれ、新約のヘブル書には信仰に生きる人々は死を見ないように神のもとに移される(一一・五)と記されてあります。またイエス御自身語られた言葉の中にも死んでから行く「アブラハムのふところ」(ルカ一六・二二)があり、また十字架上で死のうとする強盗に「あなたは今日、わたしと一緒にパラダイスにいるであろう」(ルカ二三・四三)と語った、パラダイスがありまして、死んで直ちに特定の死後の世界に移されるもののように語っております。また山上の変貌の時にモーセとエリヤが現われて来たと言うのは(ルカ九・三〇)死んだ筈のモーセやエリヤが実は死んではおらず生きて居る証拠といえるのでありましょう。また黙示録においては、死んでしかも神の前に生きているものが沢山にいることを示しております(七章・一四章)。私はこれらのすべてが、霊肉二元に見るギリシヤ思想の介入したものと見るべきものか否かについては惑うものでありますが、しかし、聖書の中にこの様な思想のあることは否定できないのであります。
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もう一つの考え方は神はアブラハムが生きており、イサク、ヤコブが各々生きていたそのときの神であって、あくまでも生きているものの神であり、神こそは人格的交りにおいてのみ神たるのであって、人格無き死したものはもはや神との交りが絶たれるという意味で神は「死んだ者の神」ではないと語られるというのであります。詩篇は「もし死んでしまったらあなたを思い出すことはない。黄泉【よみ】に落されては誰があなたに感謝するであろう」(六・五)「わたしが墓に入れられたらわたしの血はなんの益があろう。塵はあなたを讃美するであろうか」(三〇・九)と語り、死んで黄泉に下れば神を思わず、感謝せず、讃美もしなければ真理を宣べ伝えることもしないといったいわば眠りのような状態に陥って神との人格的交りが絶たれているという理由で神は死者の神ではないと語られるようであります。要するに、旧約の神は、全く此岸的性格を持ち、死者とは無関係となるのであります。イエスはサドカイ人を戒める際に、明らかに聖書をも知らず、神の能力も知らないと語っておられますから、死人の復活は神の能力に関することであり、それと同時に、聖書の中に――すなわち、旧約聖書の中にも当然語られている筈でありますが、その聖書に書かれてある言葉として、短い神御自身の自己宣言の言葉を取り上げ、その中に死人の復活の真理が隠されてあるというのであります。パウロもまた聖書の章句を指摘しないで、ただイエスの甦りが聖書に書いてあるとおりなされた(コリント前一五・四)と告げております。イエス御自身は、一応「死人」というものを認めておられて、その死人の復活を説明なさったわけでありますから、私共も死人について検討すべき必要があるのであります。また死んだ者の神ではないという御言葉は、一面において、「神なき死人」を語っているものともいえるでありましょう。「神なき死人」は当然詩篇の黄泉に下り墓に下った死人の思想と関係づけられる筈であります。なをまた、詩篇によれば、「神は面をかくし気息【いき】をとり給うたならば動物さえも死ぬ」(詩一〇四・二九)訳でありますから、死人には神無し――「神無き死人」ということも言いうるのでありましょう。
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本来ヘブルの思想から致しますと、死ぬことは墓に帰ることでありまして、それは肉体だけが塵に帰るというのではなく、寧ろ人間全体が塵に帰って消え去るのであります。黄泉【よみ】という思想も死んで魂が抜け出して赴く世界ではなく、あくまでも屍体の葬られている墓場、或はその墓の下と考えられていたものであります。イスラエル人は先祖の墓に葬られ、その中に眠ると考えた(創四七・三〇、四九・二九、ヨシュア二四・三二)のでありまして、墓の中に眠るものは、死人の霊魂ではなく、死人そのものでありました。要するにイスラエルの人々は、死んでこの世とは異なる暗きところ(黄泉)に行くと考え、死人はそこで生きていて、丁度眠という表現が適当であるように、いわば、眠っている様な生き方をしているのであります。すなわち、霊魂と肉体とが分れるのではなく、一種の人格麻痺の状態で生きているものと考えられたのでありまして、死者の姿は生きていた時のままか、或は、死の瞬間のままであって、予言者は予言者の衣を着け(サムエル前二八・一四)王は王の服装のまま(イザヤ一四・一八)武士は武器をとり、勇者は勇者、無割礼は無割礼(エゼキエル三二・二六――二七)或は、悲しみの衣を着け、愁に白くなった髪をいただいていると考えられていた(創三七・三五、四二・三八、列王上二・六)のであります。このような死んでもなお生きているといった死者――死人の考え方は、死が生の徹底的断絶ではなく、死もまた生の一種の状態に他ならずといったギリシャ的思想に近よる様に考えられるのであります。しかし、旧約聖書は、また死の厳しい意味を語っております。悪い人は黄泉に帰れ(詩九・一七)生きたままで黄泉に落ちて行け(詩五五・一五)罪を犯した魂は死ね(エゼキエル一八・四、二四・二三)というがごときは、罪の支払う報酬は死である(ロマ六・二三)というパウロの死観に通ずるものがあります。新約聖書では、死そのものは人格をもつものとして語られて居りまして、それは根本から神に逆うもので最後の敵(コリント前一五・二六)であります。イエス・キリストは彼の死によって死を滅した(テモテ後一・一〇)のでありまして、彼の死人のうちから甦りなさったことが最後の敵たる死に打ち勝ち給うた証拠でありました。黙示録によれば死そのものがやがて火の池に投げ入れられる(二〇・一四)ことになるのであります。旧約聖書の語る死人――神無き死人も決して神御自身の御手から自由なのではなく、神は死人を、何時でも、いづこからでも呼び出し審き給う方であります(アモス九・二、詩一三九・八)。黙示録によれば、海はその中にある死人を出し、死も黄泉もその中にいる死人を出し、そしておのおのそのしわざに応じて審きをうけた(二〇・一三)のでありまして、いわば、「神無き死人」も神から逃れることはできないのであります。神は、死人の神ではなくとも、死人をいつでもいづこからでも呼びだして、生けるものとなして語りかけ――審き給う神でありまして、その意味で「人はみな神に生きるものである」(ルカ二〇・三八)のであります。またその意味で神は生きている者のみの神なのであります。このような意味を徹底致しますならば、死者は終末において「死人」といった人格麻痺の状態で審きを受けるのではなく「生きている者」として審かれるのでありますから、必然に審きの日には、「死んだ者」は「甦」らざるをえないことになるのであります。要するに「アブラハムの神・イサクの神・ヤコブの神」なる歴史の神の自己宣言の中に、神は永遠者にして変り給わず、人は死の運命をもちアブラハムからイサクへ、そしてイサクからヤコブへと変転することが示されております。それでもなお永遠の神が「アブラハムの神である」と語りなさいます以上、死せるアブラハムもまた永遠者となることがなければなりません。そこに「死人の甦り」が――永生をうるための甦りがなければならないのであります。神の子・イエス・キリストは「わたしはアブラハムの神である」のうちに鋭くも「死人の甦り」を洞察なさいました。勿論死人の甦りと云いましても生命に甦るものも、審きに甦るものもある訳であります(ヨハネ五・二九)。しかし何れにもせよイエスは死人の甦りを「神と人」との関りである、神御自身の自己宣言の中に認めなさったようであります。
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要するに、死人の甦りは、審きのためか永生のためでありますが、そういう意味の死人の甦りはまだないのでありまして、イエス・キリストが死人のうちから甦り給うたのは極めて特殊な甦でそれ自身福音をいみすることでありました。すなわち、彼の甦りは神の大能の御手によるもので(エペソ一・二〇)それは死者と生者との主となるため(ロマ一四・七――九)であり、罪と死の宿命から罪人を贖うためであります。それゆえ、イエス・キリストは、死人のうちから最初に甦った(徒二六・二三、コロサイ一・一八、黙一・五)ところの「眠っている者の初穂」(コリント前一五・二〇)であります。すなわち、これは極めて特殊な甦りで、後に彼のごとく甦る者のための初穂といわれるのであります。このイエスの甦りが、福音の中核でありまして、「もし、キリストが甦らなかったとしたら、わたしたちの宣教は空しく、信仰もまた空虚なものとなり、いまなお罪のうちにいることになる」(コリント前一五・一二――一九)と語られるのであります。それとともに、パウロによれば、救とは、神が死人の中からイエスを甦らせたと信じることにある(ロマ一〇・九)のでありまして、「なんとかして死人の中からの復活に達したいのである」(ピリピ三・一一)とは、パウロの切なる希望でありました。死人の甦りといえばイエスは死人を甦らせました。それはイエス・キリストの権威ある業であり、又メシヤたる証左(マタイ一一・四――六)でありました。イエスは、ヤイロの娘を甦らせ、ラザロを甦らせ給いました。しかしこの甦りは癒しの業に属するもので、ヤイロの娘もラザロも決して死人のうちから審きのためとか、また永生に与るために甦ったものではありませんでした。彼等は、たとえ生き返ったとしても再び死に終ったのであります。すなわち、彼等の甦りと、イエスの甦りとは全く異なるのでありまして、死人のうちから「真の甦り」を甦ったのはイエスが最初であります。それゆえイエスに就ては「死人の中から甦らされて、もはや死ぬ事がない」(ロマ六・九)と語られるのであります。ラザロの場合を考えてみましても、死んで四日間墓の中にその屍体が置かれていた訳でありまして、ギリシャ思想からすれば、そこには肉体だけがあって、霊魂はない筈であります。しかるに、イエスはその死人――屍体に向い「ラザロよ、でて来なさい」と語りかけなさいました。これは会話を聞きわけうるものとしての屍体がそこにあった訳であります。すなわち、ラザロなる全人格は、墓の中にいた訳でありまして、これが本来のイスラエル人の思想であります。ヨハネ伝が「イエスがラザロを墓から呼び出して死人の中からよみがえらせたとき・・・」(一二・一七)と記して居りますように、イエスはラザロを墓より呼び起し、死人の中から甦らせた訳であります。然しそれは決して永生のためにとか、または審きのために生き返らせたものではなく、一応終末時のひながたを示してはいても、それはあくまでも癒しを意味する業であったのであります。それゆえ「死人は朽ちないものによみがえり」(コリント前一五・五二)「霊の体によみがえり栄光あるものによみがえる」(コリント前一五・四三――四四)という意味の甦りは、イエスにおいて最初に見られるのであります。
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イエス・キリスト御自身についての甦りの出来事を検討致しますに、イエスは十字架上に死に絶え、屍体となってアリマタヤのヨセフの墓に葬られ、三日目にその墓の中から甦ったのでありまして、死と同時にその霊がいづこかに転出したというのではないのであります。すなわち、墓の中に葬られたのは屍体だけで、その魂が獄の霊を訪ね死せる者に福音を宣べ伝えた(ペテロ前四・六)というのは、ヘブライ的死観にギリシャ的説明が導入されたものと考えられるのであります。(然し問題をひめた言葉であります)。一般キリスト教徒の考の中にも、死んで永遠の眠りにつき、甦りの日に甦らせられるという考と、死んですぐ天の御国に移されるという考とがありますが、聖書の中にもこの二つの考は交錯しているようでありまして、死は眠りだと考えられ、主の再臨の時に、目覚めて死人の中から復活し、キリストと共に永遠に生きる(テサロニケ前四・一三 ―― 一六、コリント前一一・三〇、一五・六、一八・二〇、五一)というのと、死から直ちに永遠の家に入り、主と共に生きる(テサロニケ前四・一七、五・一〇、コリント後五・七以下、ピリピ一・二三)という思想とがあるのであります。「霊」が強く主張される場合は、ギリシャ的思想が介入して、死から直ちに永遠の生命に連りますが、ヘブライの伝統からしますと、死は眠りであって、呼び覚まされる時まで眠り続けることとなるのであります。しかし、これらのことの真相は、終末時迄はあらわにはされない秘義に属することなのでありましょう。しかしイエス・キリストの十字架の後は「生」と「死」の問題は意味を一変してきました。キリストにある者は以前は自分の罪過と罪とによって死んでいた者でありますが(エペソ二・一、五)いまや、キリストと共に既に甦ったもの(エペソ二・五――六、ロマ六・一一)と語られるのであります。すなわち、キリストにある者は「今既に永遠の生命」を持つ者であって(ヨハネ五・二四、ヨハネ書第一書五・一一―― 一二)。このような「死・生」観はイエス・キリストの十字架の死、すなわち、福音により一変せしめられた死・生観なのであります。それゆえ、福音の時に立つ者には、死人の問題も屍体の問題も厳しく問われないのであります。それとともに肉の死後が眠りであっても、天の国に移されることであっても問題とならず、肉の死には「永遠の生命」を持つ者としての事実が引続いて示されるばかりなのであります。ここにも「あなたの信じたとおりになるように」(マタイ八・一三)が語られるのかも知れません。
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然し、問題は、生と死を一変せしめたというそのイエス・キリストの「死」であります、福音書は、イエス・キリストが十字架上で死に絶え、屍体となって十字架上より下され、アリマタヤのヨセフの墓に葬られたと語っております(マタイ二七・五七――六〇、ルカ二三・五〇――五三)。私には、イエス・キリストが「屍体」【しかばね】となったとは重大な意味があると思われるのであります。それは死んではならないものが死んだとか、屍体となってはならないものが屍体となった、ではすまされないものがあります。そもそも人間の屍体とは、人格の絶滅した「物」でありまして「塵に帰る」ことの始まった状態であります。それは既に全く「物」となり切った状態であります。これは形の上からする「死」の結果であります。すなわち、これは「永遠の神の子」が受肉したことにより遂に物の状態に迄立ち至ったことを示すものであります。そもそも聖書が受肉を語る時は「受肉した人格」を示すものでありまして、肉という物を語るのではありません。しかるに、死して「屍体」となったとは徹底的に物に化したことを示すのでありまして「永遠の神の子」が受肉を介していわば「受物」した事を物語るものと云えるでありましょう。そして、このことは、イエス・キリストは、その死により、生きている者と死んだ者との主となった(ロマ一四・七――九)ばかりではなく「受物」により、生きている者と死んだ者とそして更に生命なき「物」の主となり、ここに全く――宇宙万有の主となり給うたことを示すものと云えるのであります。ここにおいて、「神の子」は、その先在の時に、自ら創造なし給える生命あるものと生命無き物とも一切に、自ら関わり給うたことになるのでありまして、イエス・キリストの贖の業が天地万有に及ぶことの秘義が、ここに示されているといえるのではありますまいか。一切の造られたものが――即ち今に至る迄嘆きに沈める万有が自由の子となるという宇宙の完成(宇宙の破れの回復)が、このような「受物」の出来事の中にひそかに語られているのではありますまいか(ロマ八・一八――二二)。それとともに、このような福音の奥義から〝三位一体〟論を考えますに、当然そこに問題が生じて来るのであります。永遠の「神の子」が受肉して「人」となり、死を介して人格なき「屍体」と迄なり給うたというこの出来事に即して考えますなら「神の子」がこのような屍体の状態に迄なり給うたその時においてさえも、なお一体性の完全に保たれている「神」は、正に人格なき「物」と一体となる神でありまして、これは聖書の神観を全く破壊したものとなるのであります。またイエス・キリストは、「神」なりと卒直に告白致しますならば、「屍体となった神」がある訳で、神の人格性は失われてしまいます。私は聖書により「永遠の神の子」の受肉と死と甦りという歴史の中の唯一度きりの出来事のうちに「神の救の業」と、その救が宇宙に徹するという宇宙の救済の幻、を見るものであります。すなわち、「受肉」とは――あくまでも神御自身の受肉ではなく、創造の業の責任者であった「神の子」がその責任のゆえに神より遣わされて「受肉」して世に来り給うたことでありまして、その受肉と死とによって福音の業を成就なし給うたのであります。この福音が福音たるためには、イエス・キリストは、聖書の語るように「神の子」であって「神」御自身であってはならないのであります。そしてこの「神の子」こそ真理(ヨハネ一四・六)であり「神の子」を見ることが「神」を見る(同七)ことであり、ここにこそ「隠れたる神」を啓示しつつ、「神」ではなくあくまでも「神の子」であるイエス・キリストの秘義があるのであります。私は少年の時から聖書を読んで三十有余年になります。私は「福音」に対決した結果聖書の「イエス・キリスト」をこのように理解するに至りました。今、ペンをおくに際し不安と畏れと同時に深い喜びとを覚えます。私はここに日本基督教界先輩各位の御批判と御教示を賜わらん事を切に望むものであります。
第九章 問題の聖句について
(一)ヨハネ第一書五章二〇節「さらに、神の子が来て、真実なかたを知る知力を私達に授けて下さったことも、知っている。そして私達は、真実なかたにおり、御子イエス・キリストにおるのである。このかたは真実な神であり、永遠のいのちである」。問題となるのは「このかた」であります。しかし「このかた」は「真実なかた」にかかっていて、イエス・キリストにはかからぬのが正しいようであります(グッドスピード)。そもそもヨハネ第一書は「御父と御子」「神と神の子」とを対比しつつ論じて居る書であります。それですのに、最後になって、神の子であるイエス・キリストの方が「真実な神であり、永遠のいのちである」と言ったことになれば極めておかしいのであります。
(二)テトス二章一三節「祝福に満ちた望み、すなわち、大いなる神、私達の救主キリスト・イエスの栄光の出現を待ち望むようにと、教えている」の一句も問題となりますが、この「大いなる神」と「私達の救主キリスト・イエス」との間には「そうして」の言葉が介入しており、「出現」の言葉に――「大いなる神」と「私達の救主キリスト・イエス」の両方が関ることとなって居りまして、問題が残らないと思はれます。もちろん「そうして」には問題があります。
(三)ヨハネ伝一章一節「初めに言があった。言は神と共にあった。言は神であった」。この一節は三句から成り立っておりまして、第二句の「言は神と共にあった」の「神」には冠詞がついており、明らかに、ヨハネ伝の語る「父なる神」であります。それゆえこの神と共にあった言は当然「神」ではないことを示して居るわけであります。しかるに、第三句は明らかに「言は神であった」となっております。然しこの方の「神」には冠詞がついてはおらないのであります。ヨハネ伝の著者の意図した所は、恐らくモファットが the Logos was divine と訳したところに一致するのではありますまいか。「神」(父なる神)以外に「言」なる「神」がいたというのではないと思われます。それとともに神性者が直ちに「神」でないことも示されているといえるでありましょう。すなわち、父なる神と共に在【いま】した「神の子」は「言」(ロゴス)と呼ばれた、神性者であったと言うことがヨハネ伝を貫く思想であって、これは二〇章三一節に書かれている、ヨハネ伝の「目的」と一致するのであります。
(四)その他として一応問題となっておりました、ロマ書九章五節や、ペテロ後書一章三節は、口語訳では以前の誤訳が訂正され、解決されております。
あとがき
昭和二十九年三月北森教授の反論に遭って以来、私の聖書の「イエス・キリスト」も幾つかのパンフレットとなって発表され、公式の会に於ける討論も屡々なされました。省みれば過去一ヶ年は聖書の中なるイエス・キリストについての瞑想と討論で過ぎ去り――私の生涯の最もよき一年となりました。この意味で、私の北森教授への感謝は深いものがあります。私は福音に徹せんとの願から私の救主イエス・キリストの人格を聖書に求めました。その結果計らずもキリスト教の古い伝統に抗することになったようであります。それ故この書については誰からの援助をも求めぬことに致しました。それはその人々に累を及ぼす事を恐れたからであります。又確かにそのような可能性を持つ書であることを確信するからであります。ある会でたまたまこの書の意見を発表致しました際、激しく反対された無教会系の学者なるS先生、神学大学のF、T両先生、牧師のS先生にも私は感謝して居りますし、終始冷静に見守り忠告者となって下さった牧師O先生及びN教授、生産的討議となるようにと励まして下さったM教授、又福音に忠なれと鞭撻して下さった信仰の先人S教授、Y教授と牧師F先生夫妻と、この数年来屡々激励して下さった北海道のT博士の諸先生に深謝致します。尚この書の中に引照した二三の先人の論文を明記致しませんでした。それはこの書が学問的論文たる性格を持つものではないからであります。然し引照させて戴いた諸先生に深謝致します。私と致しましては「将来の研究にまつ」事となった昭和二十九年七月十日の同盟委員会に於ける結論についていわば責を果した事になる訳でありますが、この問題は更に研究の将来のある問題であります。なお私は出版を快くひきうけて下さった、待晨堂の市川昌宏氏に深い感謝の意を表します。